EF65 1129[関]

国鉄最後の日、国鉄から新しく誕生するJRに向けて、東京駅・上野駅から6本の夜行列車が運行されました
写真はそのうちの1つ、東京駅からJR九州(博多駅)に向けて出発する「旅立ちJR九州号」
下関の機関車を東京で見る機会は非常に少なかった頃です

客車は門司局のお座敷列車「山編成」が用いられました
牽引機は、下関までが写真の EF65 1129、門司までが EF81 414、博多までが ED76 94 だったそうですスロフ12 817

《山編成》
 オロ12 833 + オロ12 834 + オロ12 835 + オロ12 836 + スロフ12 818


EF63 13[横]

信越本線の難所、碓氷峠をゆく「あさま」
この区間はまもなく新幹線の開業とともに廃止となる、そんな直前の時期です。
沿線には多くの鉄道ファンが撮影に来ていました。かなり線路際でカメラを構えている人が見えます。
いまだとこういう撮影はできないでしょうね。

個人的には「C’アンテナ」と呼ばれる、長野向き左側に付けられたアンテナが装備される前の姿のほうが好きでした。まぁ保安上必要な設備としてつけられたので仕方がないのですが・・・。

EF65 1013[田]

1988年

寝台特急「あけぼの」は昭和45年に上野~秋田を結ぶ臨時列車として登場。当初から EF65 1000番台、いわゆる PF が直流区間の牽引にあたり20系客車で運行されました。(当初はEF58と共通運用)
昭和55年のダイヤ改正で 20系 から 24系 に変更。以降も様々な変遷がありましたが、平成5年に 上野~小牛田の牽引機が EF81 に変更になるまで、上野~黒磯は田端区の EF65PF が担当していました。

EF65 1115[田]& EF66 43[関]

かつての名門、東京機関区は昭和60年3月のダイヤ改正で合理化により車両の配置がなくなりました。この時に所属していた機関車は全て 新鶴見機関区 に転属しています。
しかし国鉄の分割民営化を前にした翌年11月のダイヤ改正では、新鶴見機関区はJR貨物への継承となるため旅客用機関車は田端運転所(旧:田端機関区)にさらに転属となりました。しかし実態としてはいずれも旧東京機関区の場所に機関車は常駐していました。

写真は昭和62年11月の品川運転所一般公開の時のものです。つまり旧東京機関区の車両は新鶴見機関区を経て田端運転所の所属となっている時のものです。
EF66 は下関運転所所属ですから、隣の EF65 が田端運転所所属ということになります。