EF63 1
現在は「碓氷峠鉄道文化むら」で静態保存展示されている1号機
碓氷峠をアプト式から粘着式運転に切り替えた立役者の試作機です
2号機以降の量産機とは前面窓上部のツララ切がなかったり、スカートの上部形状が異なるなどの特徴があります
登場時は写真のような茶色(ぶどう色2号)でしたが、昭和40年に直流電気機関車の塗色が青15号とクリーム1号のツートンカラーに定められると塗装変更されました。
現在は「碓氷峠鉄道文化むら」で静態保存展示されている1号機
碓氷峠をアプト式から粘着式運転に切り替えた立役者の試作機です
2号機以降の量産機とは前面窓上部のツララ切がなかったり、スカートの上部形状が異なるなどの特徴があります
登場時は写真のような茶色(ぶどう色2号)でしたが、昭和40年に直流電気機関車の塗色が青15号とクリーム1号のツートンカラーに定められると塗装変更されました。
寝台特急「出羽」を牽引する 1051号機
上野駅での撮影です
碓氷峠廃止間近の横川駅て待機中の18号機と24号機。
最末期にはこの他に19号機と25号機が写真のように茶色に塗られて活躍していました。
ちなみに1エンド側(上り方向)には各車ヘッドマークが取り付けられていました。
信越本線の難所、碓氷峠をゆく「あさま」
この区間はまもなく新幹線の開業とともに廃止となる、そんな直前の時期です。
沿線には多くの鉄道ファンが撮影に来ていました。かなり線路際でカメラを構えている人が見えます。
いまだとこういう撮影はできないでしょうね。
個人的には「C’アンテナ」と呼ばれる、長野向き左側に付けられたアンテナが装備される前の姿のほうが好きでした。まぁ保安上必要な設備としてつけられたので仕方がないのですが・・・。
寝台特急「あけぼの」は昭和45年に上野~秋田を結ぶ臨時列車として登場。当初から EF65 1000番台、いわゆる PF が直流区間の牽引にあたり20系客車で運行されました。(当初はEF58と共通運用)
昭和55年のダイヤ改正で 20系 から 24系 に変更。以降も様々な変遷がありましたが、平成5年に 上野~小牛田の牽引機が EF81 に変更になるまで、上野~黒磯は田端区の EF65PF が担当していました。